Entries

父を偲んで・・・

記憶の中の父はいつも忙しく働いていた。
家でのんびりとゴロゴロしているのを見たことがない。
鉄道マンとして働いていたころは
休日となると、借りていた畑で野菜作り。
私たちは一緒について行って、近くを散策したり
父が「帰るぞ」というまで遊んでいた。

夏になると近くの川に水遊びに連れて行ってくれた。
川は遊びの宝庫だったっけ。
泳ぎ疲れると、オタマジャクシやら蛙を捕まえたり
飽きずに石を積んでお見せ屋さんごっこをした。
父はいつも川の水で車を洗っていたなあ。
テントを張って、一家5人でキャンプもした。
食事はテッパンのカレーだったけど、すごく美味しかった。

私が犬を飼いたいと言ったときも
犬は飼えないからと、代わりに飼った鳩は餌を与える父に懐いた。
中腰になっている父の背中に鳩が乗って甘えている。
世話をしてくれる人を覚えているんだなあ。

物置の中に、しめ縄で手作りしたブランコがあった。
少しでも楽しめるようにと父が作ったんだ。
兄妹や友達とよく遊んだな。

一緒に遊んだり、可愛がってもらったような記憶はないが
いつも子供たちのために、と色んなことをしてくれていた。

困ったことが起きた時は「お父さんがなんとかしてやる」と言った。
それだけで安心した。いるだけで安心だった。
あまり叱られたり、ましてや叩かれたことは一度もない。
おおらかで優しい父だった。

50歳くらいになった頃、自営業をすると言って脱サラ。
国家資格を取得して、電気工事士となった。
気がつくと、家は株式会社になっていた。
有難いことに忙しくて、休む暇もなかったようだ。
いつもいつも「忙しい、忙しい」と言っていた。

そんな中でも、母とよく旅行に出かけたり
趣味の詩吟を楽しんでいた。
大会では優勝するほどの腕前だったらしい。
習字も長いこと習っていた。
いつも二人は一緒で仲良しだった。
ケンカをしたのを見たことがない。

そして子供たちが巣立って夫婦だけとなる。
80歳を過ぎたころに脳梗塞で倒れる。
軽い片マヒが後遺症として残った。
歩くのが難儀になり、車いすとなり
少しずつ少しずつ介護が必要になっていった。

それでもパソコンを習い始めて
私たちとメールの交換ができるくらいに上達した。
何にでもポジティブにトライする父らしい。
とても勉強家な父だった。
その後ろ姿を見てきたからか
私たち兄弟はそれぞれに色んな資格を持っている。

ここ2~3年の父は肺炎や圧迫骨折で入院を繰り返していた。
それでも母の献身的な介護を受けて、最後まで家で暮らせたのは幸せだ。
「お父さんには大事にしてもらった。何の不自由もなく幸せに暮らせたのも
お父さんが立派な人だったから。今、恩返しと思って介護している」
と母は言う。素晴らしい言葉だと感動したものだ。

お父さん、いい人生でしたか?
93年も生きていると、色んな事があったことでしょう。

お母さんはもう少しお米を食べたら、そちらにいくそうなので
のんびりと待っていてやってくださいね。

ありがとう。

それしか言葉はありません。














スポンサーサイト

Comment

 

ひろ
いろいろありがとね
ブログを読んでいろいろな思いが・・・

  • posted by きむ 
  • URL 
  • 2016.12/08 07:41分 
  • [Edit]
  • [Res]

 

きむさん
幸せな家庭に育って幸せだと思う。
これからは母を支えて行きましょ♪
きょうだい仲良くしていなかいとね(爆

 

お父様は優しい伴侶と子どもさんに恵まれ、
幸せな生涯だったと思います。
優しかったDNAは引き継がれていくでしょう。
  • posted by ottch 
  • URL 
  • 2016.12/12 10:23分 
  • [Edit]
  • [Res]

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

ご案内

プロフィール

ひろ627

Author:ひろ627
FC2ブログへようこそ!

Calendar 1.0

<
>
- - - - - - -
- - - 1 2 34
5 6 7 8 9 1011
12 13 14 15 16 1718
19 20 21 22 23 2425
26 27 28 29 30 - -

全記事

Designed by 石津 花

最新記事

右サイドメニュー

検索フォーム

ブロとも申請フォーム